お知らせ

News

14.木屋平の現場で台風にあった事について(1975年)

  • 北岡組今昔物語

一九七五年に剣山測候所の改築工事中にあった台風六号の事を今回は書きます。

剣山測候所は富士山測候所に次ぐ日本で二番目に高い所にある測候所です。一九七五年、八月十六日台風五号があり、又八月二十二日の六号台風が来る迄の間、六日間は雨が降り、そのあげくの台風で、二日間で約八百五十mmの大雨が降ったので、それはもう大変な水の量で、貞光から見の越の間及び穴吹より川上の間は道路及び山は崩れ、まったくの孤立状態でした。車はもちろん人もなかなか通れないほどでした。

丁度私は六号台風の朝、会社の方へ帰っていました。前回述べた通りです。その時は木屋平とは何の連絡も取れない時であり、会長が現場の事やその他の事が心配であったので、私が二十四日の朝、「木屋平へ行って見て来ます。」と言って、一井自転車店で50ccのカブを借りて、逢坂善則君と二人で十時三十分に会社を出ました。途中穴吹の仕出原の所で道路が流されてきれているのでカブを置き、二人でカッパを着て歩いて行く事にしました。歩く途中、口山の山の中で土木の所長に会い「どこへ行くので。」と尋ねられ「川井迄行くつもりです。」と話すと「それは大変です。」と言われました。それから古宮の店迄行って何か買うつもりでしたが、もう店にはパンもジュースもありません。三日間も停電で物を人に売るどころではないと言われ、どこへ行っているのか尋ねられ川井迄と答えると、親戚か何かないと食べる物はないと言われました。川井の佐藤さん宅へ着いたのが五時半で約七時間かかりました。食事を頂いてから、川井にあった出張所の社員と車で行ける所まで行き、それから歩いて現場を見に行って、晩は川井の事務所で泊まりました。朝消防署の人が殉職で亡くなった大北の家迄行き、お参りをしました。それから又歩いて川井を二人で出て、途中樫原迄歩き逢坂君は現場へ行ったので、一人で歩きました。前を見ても後ろを見ても人の影はなく、車で走ると一つのヘアピンが三分~四分位ですが、歩くとなかなかでした。ようやく行く途中カブを置いている仕出原橋の所迄帰れ、やれやれでした。カブを一井さんの所へ返して事務所迄帰ってくるのが又大変でした。足にみが入ってガニ股でないと歩けないし、途中人に会うのもいやいやでした。

又、次の日は車で土釜迄行き、それから歩いて古見迄行くと古見の町中は土砂で埋まり約一m位まで埋まっていました。約三百人位の自衛隊の人が来て土砂を川へ出していました。そしてその次の日は、又カブ一台で剣山測候所の現場へ苛原君と二人で出かけました。カブが一台なので、苛原君が十分位乗って行って私が歩いて来るのを待つと、次は私がカブで十分位乗って行って来るのを待つという方法を交代でやりながら頂上迄行き、日帰りで行って来ました。途中道路がない所は、山の中を二人でカブを押したり引っ張ったりして頂上迄行きました。頂上ヒュッテの人や測候所の人はどんなにして来たのかと不思議がりました。頂上の現場に着いてから現場の廻りを見ていると、置いてあった鉄板(1.2m×2.4mで四人でかいても重い)が風で飛んでなかったし、外壁のイヨバンドは箱に入って三段積んであった物が一段落ちていました。何と言っても頂上は風速六十五m位の風が吹いたそうです。

私が延べ四日間で歩いた距離は約二百km位であり、今であったらよう歩かないでしょう。後になりましたが、川井の奥の方から川上迄は道路はなく、ずたずたで広い野原になっていたそうです。これで終わりに致します。話が後になり先になりましたが、どうかご勘弁のほど。

(馬場 茂さん 元㈱北岡組 建築部)

  1. TOP
  2. お知らせ
  3. 14.木屋平の現場で台風にあった事について(1975年)