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15.北岸用水工事(1975~1989年)

  • 北岡組今昔物語

新年あけましておめでとうございます。今年も皆様方にとりまして、よいお年でありますよう祈念いたします。

昨年は大きな目標でありました参議院選挙の勝利について、北岡グループの社員および協力業者の皆様や関係者一同が一丸となって応援したかいもあって、大差での勝利に結びついたものと思っております。この間、皆様方には無理難題をお願いしたりご迷惑をおかけしましたことについて、お詫び申しますとともに心よりお礼を申し上げます。

さて今回、用地問題について苦労した思い出話として、昭和五十年から平成元年頃にかけて盛んに施工した北岸用水工事について書かせていただきます。その頃は、私もずっと現場を担当しており、主に建設省の工事を手掛けておりましたが、昭和五十七年五月に荒川暗渠工事を受注して担当することになりました。当社はそれまで北岸用水の関連工事などは施工していましたが、幹路水路工事は初めてであり、その当時幹路工事はほとんど大手業者が施工しており、県内業者が施工するのは姫野組についで当社が二番目だったと思います。私も当時三十歳と年も若く、農政局の仕事も始めてだったこともあり、また大手業者と並んで仕事をするという事でかなり気負っており、一緒に担当した同僚社員にもかなり厳しく接したものでした。なかでも毎月一回全業者が集まっての工程会議とさらに毎月の安全協議会および安全パトロールという今では当たり前の事を、当時の大手流儀の付き合いにかなり気を使ったものでした。

工事の内容は、延長約一〇〇mのカルバートボックスと一部オープン水路の構築および、約五ヘクタールにおよぶ農地の原形復旧工事でした。工事条件としては、仮設の工事用道路はなく、在来の町道を使うことについては地元の条件で重量制限がかけられていて、使う車は四トン車までで大型の建設機械は使えず中型の機械も解体して自走で入れるような状態での施工でした。

また、この工事の大きな問題として用地問題がありました。用地提供の承諾が得られず美馬町内でこの部分だけが施工出来ず残っていたといういわく付きの工事でした。用地交渉には有力な県会議員までがかかわって了承を得たという話であり、農政局もかなり気を使っていて、地元対策も含めて当社が受注出来たのではないかと言われたものでした。いろいろ気配りをしながら工事を進めるにあたり、工事説明会は美馬温泉の宴席で行い、また原型復旧についての打ち合わせは現場事務所を宴会場に模様替えという有様でした。こういう状況のなかで、私としては誠意を示すことを第一とし、関係者宅を月一回は訪れる事と、出会った時は挨拶だけでなく何か世間話をするように気を使ったものです。そのうち何人かの人からは、残業をしていると差し入れを頂いたり、また祭りの席に招待されたりというような事もありました。なかには良いことばかりでなく、困った事として、お墓の撤去を頼まれた事がありました。それはお墓の持ち主は補償をもらって別にりっぱな墓を建てているのに元の墓をそのままにしておいて、工事のついでにそれを取り除いて欲しいということでした。そのお墓を見てみると、土葬墓でお骨もそのままで、十基くらい並んだ墓地が二ヶ所というしろものでした。そのままでは仕事が進まないので、仕方なくお坊さんを雇って供養し、日当倍額で募った有志に頼んで骨集めから始めてお墓を取り除いたものでした。その事でやや神経質になっていたのか、他の場所を掘っていたところ、瓶のカケラが出てきたのでてっきりお墓と思いあわててお坊さんに来てもらって拝んでいたところが、昔の人家跡の水瓶だったと解り近所の人からしばらく笑い者になったというおまけまでありました。

そのようにして、こつこつと問題を解決するとともに原形復旧の施工時には各工程毎に地主に連絡して見てもらうということを繰り返すことで誠意を示し対処したことが、完成検査のとき借地全部の土地引受書を提出出来た結果につながったのではないかと思います。その当時、完成検査に全部の土地引受書が提出出来たのは初めてだったということで、完成検査の時に検査官から最初に「大変でしたね。ご苦労さん」と言われたことが、今でも強く印象に残っています。用地問題だけでなく、他の担当者も測量から施工までを細かく管理して、後々まで問題なく完了したことで発注者および地権者の評価を得たことは言うまでもありません。

その後、北岸用水の工事は幹路水路が終わり支線水路の工事へと移っていきましたが、この工事においても長い路線だけに用地関係者の数も多くなり、必然的に工事や用地にからむ問題も増えるなかで、各工事を担当した人達も問題解決には誠意を持って事にあたることで、結果として国営、県営また団体営の各工事において数々の実績を残してきたことは皆様もご承知の事と思います。

昔話を書くなかで、少なからず自慢めいた話ばかりになりましたが今回は成功談ということでご了承を頂き、これからそういった問題にかかわっていく皆様の多少なりとも参考になればと思う次第です。ただ最近は、昔と違って個人の権利意識も強くなり、また環境問題および公共性・利便性その上に財政上の問題等で、世間の公共工事に対する見る目も厳しくなって来ているのが現状です。そういう環境のなかでこれから工事にたずさわる皆様には、より以上に苦労が付いて回ると思いますが、私の経験も交えて言えますことは、専門知識についてはもとより一般的なことについても勉強して深い知識を身に付けることで、誠意を示すなかでも言うべきことは言えることになり、また時間が必要であれば時間をかけてでもこつこつと問題解決に当たることが肝要だと思います。

以上つたない文面で申し訳ありませんが、思い出話を書かせて頂きました。皆様方にはこれからも仕事をするにあたり、建設業を通じて社会に貢献しているという気持ちと仕事に対する自信を持ち心身共に十分気を付けられて、益々のご活躍を祈念致します。

(北岡 好忠さん 元㈱北岡組 副社長)

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