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12.剣山測候所(1973年)

  • 北岡組今昔物語

今は無き剣山測候所を建設した当時のお話をさせていただきます。

発注は旧建設省中国地方建設局の発注で、工事は昭和48年4月から開始し、同年12月25日まで行いましたが、一旦下山し、昭和50年4月に再開、同年8月に索道の本線撤収が終わり完成しました。

それも旧木屋平村役場より頂上へ公衆便所を建てたいので、線がある内に工事をするようにとの発注者からの要望で行う事に成りました。

建物は、コンクリートブロック造の平屋建て、面積は40㎡位で屋根はコンクリートスラブでした。重機が運べないため、本体の工事は全て手作業で行わなければならず、地下工事(床下に雨水を貯める水槽)掘削中に10t位の岩盤が出た折りには、3人が3日間、ノミとゲンノウで割りながら取り出しました。また、工事に使用するコンクリートの量は、25‰位でしたが、生コンは東祖谷の工場から見ノ越まで約50分かかり、見ノ越から索道を使用して頂上まで運びます。索道には7個位のコンクリートバケットを吊り下げ、5分間隔で連続に運搬、そこから一輪車で運ぶのですが、コンクリートが硬化しないよう時間との戦いでした。

また、索道を設置するまでも大変苦労した記憶があります。それは、ワイヤー親線の直径が30㎜、長さが1000mも必要だったため、特注品で作製に約2ヶ月もかかりました。また、その親線を引くルートは当時、県と山の所有者が山林の境界等で裁判中であり、「その上を通してはいけない」という事で途中からくの字に曲げなくてはならないエピソードもありました。

その他苦労した点を振り返ってみますと、頂上は国定公園であり、物ひとつ土地の上に置けなかったこと。外部モルタル塗りの際は天気の良い日に塗り付けても、急な濃霧による気温の変化でなかなか乾かなく仕上げが出来なかったことなど、まさしく自然との戦いでした。また自然といえば台風と落雷の恐怖を体験しました。8月の台風到来時、雨が3日間降り続き800㎜以上観測し、頂上付近では風速60mの強風が吹き荒れ、人が立つことが出来なかったのです。当時現場建物が出来る途中であり、強風で屋根が吹き飛ばされないよう、番線で引っ張るのが大変でした。また、山から帰宅した後2時間位して、来た道の7ヶ所に崖崩れが発生しました。もう少し遅かったら今頃どうなっていた事かわかりませんでした。それともう一つ、頂上では雷が鳴る時は腕時計や金物類は持たない様に初めに観測所の人より聞かされていました。観測所の建物の中で打合せ中に雷が鳴り、火花が散った時は全員が立ちすくみました。雷の恐ろしさがわかりました。また、登山者の方が公衆電話で話し中に雷が鳴りその人が仰向けにひっくり返ったのを見たこともありました。

話が先になり後になりましたがもう36年前の事で悪しからずお許し下さい。

(馬場 茂さん 元㈱北岡組 建築部)

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