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11.北岡春夫町長時代(1965年)

  • 北岡組今昔物語

昭和40年、旧脇中の同級生に推されて北岡春夫が美馬町長に出馬する事になりました。かつてない激戦と言われた中41歳の若さで、合併後3代目の町長が誕生しました。

会社経営と町長とを二股をかけて仕事が出来るほど器用ではない事を自分でわかっていたので、私が北岡組の社長を任せられました。

半田町、美馬町、貞光町の三カ町村を一本にして消防団から消防署へと全国で初めての快挙で、町村の寄り合いによる消防署設置が認められました。また交通の不便な山間部に大規模農道を造り、山奥に自動車が通れる様になった時には、皆さんに喜ばれたものです。一部の役場職員からは町長は何を言っているのかわからないと言われているのをよく耳にしましたが、レベルが高いので皆にはわからんと言ってくれる人もいました。私は説得力が無かったのだと思います。町長を8年務めた後、県議を10年務めましたが、後半体調を崩して三期目途中で長男の秀二が県議に出馬しました。此の間藤田専務が留守を守ってくれました。私の故郷の木屋平方面でも工事を多く受注し、名西郡神山町まで道路工事をしたこともありましたが次第に減少していきました。

悲しかった思い出

私が社長時代、野村谷の工事で水溜まりが出来ているところに近所の男児が飛び込み死亡した事です。「危険」の立て札を立てていれば、と悔やまれてなりません。葬儀の時も、謝りに伺いましたが、ご家族の方に「子供を返して」と泣きつかれ、お詫びの仕様もなく胸の痛む思いをしました。二度と此のような事が起こらない様にと祈るばかりでした。毎日現場で活躍されている従業員の皆さんも自分の身体はもちろん、事故にも注意して悲しい思い出は残さないように頑張って下さい。

 (北岡 政子さん 旧㈱北岡組監査役)

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