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9.北岡組大阪出張所(1962年)

  • 北岡組今昔物語

昭和37年春より大阪出張所を開設

電気通信工事の下請(近畿通信建設)を始めました。
仕事はいくらでも貰えますが、当時は技術者と、職人がともに不足し、その上資金難で二年少々で引き揚げました。
この背景については、北岡春夫が美馬町長選に出馬する事になり、会社を任せる人が藤田専務のみとなる事情もあり、私が大阪での事業を強引に反対し、伸びる事業の芽を摘んでしまった様なものでした。藤田専務を始め中岡進氏、松久光夫氏が大変な苦労と努力、色々な悪条件を克服してやっと地盤が出来た頃で、苦労が報われて本社の援助にも頼らずやっていけるという時期でした。
しかし、それまでの投下資金が本社の経理を圧迫していましたので、今後の資金需要には応じ難い気持ちがありました。専務は、苦労して立ち上げ一人立ち出来るようになった大阪出張所を引き揚げる時には難色を示し、渋々でした。
今日、徳島の建設業で苦しい競争をしているのを思うにつけても、この事業を続けていれば徳島でも大阪でも立派に立ち上げれていたのにと、悔やまれてなりません。

大阪での苦労話

本拠地連絡場所として大阪の北岡の姉の家(大阪市北区天神橋筋)の玄関先を借り受け行動を起こしました。電話工事は初めてであり、専門知識はない、勿論、技術者もいないずぶの素人でした。電電公社のOBを探し、技術者として雇用しました。電柱の穴掘り、電柱建て込み等の作業員は美馬町より北岡組一般土工から選抜し、泊まり込みで従事させ、総勢30人を超えた大世帯でした。新しい分野への進出であり、下請工事とはいえ書類作成から図面まで全てが初めてのことなので苦労しました。図面の見方から工事の進め方に至るまで、公社OBの教えを請い、戸惑いながらの挑戦でした。
電話工事は和歌山県の樽井(南海電鉄樽井駅付近)が最初でした。次に佐野市など周辺地域の工事に従事し、樽井を振り出しに布施市高井田局開設工事に伴う布施駅前商店街工事・大阪市今里近辺(鶴橋商店街)及びその周辺、和歌山茅二局開設に伴う電話工事等数多く工事をしました。磁石式電話を全面的にダイヤル式に変更・増設する工事です。木柱からコンクリート柱への建て替え、鋼製ワイヤー張り替え、ケーブル線新設及び張り替え等、電話工事全般にわたる施工をしました。
また、一般土木工事にも進出するべく先づ、フェンスの設置工事から手掛け、神戸市垂水区垂水精神病院新設に伴う200mに及ぶフェンス工事・門柱通用門等々の工事を行いました。ガードレール工事としては、芦屋市より有馬温泉に通ずる路肩、六甲山に通ずる道路も一部含み延長1600mに及ぶ大工事でした。下請工事が主体ではありましたが、北岡組の看板は大阪の地に挙がっていました。3年間でトラック4台保有し、電話工事の機材も揃え仕事の幅も広がり大阪を中心に西東する多忙な出張所になっていました。仕事は充分あり信用や実績も出来始めていましたので、支社の設置場所として、めぼしい土地を物色していた時期でした。
大阪は、高度成長期の波に乗って建設ラッシュでした。その規模や量は徳島の比ではありません。まさに経済活動の中心地でした。戦後の復興から更に一段と高い活動に入りつつあり、戦後のバラック建ては既に無く、そこには社屋が建てられ営業が行われていました。盛んな経済活動は、その社屋や施設を更に大きく新しいビルに生まれ変わらせようとしていました。

改めて、努力・忍耐・信用、そして実行力が足らなかったこと、会社は人なり、優秀な人材を養成出来なかったことが、悔やまれてなりません。

(監査役 北岡 政子さん 元㈱北岡組 監査役)

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