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4.昭和30年代 木屋平村工事(1955年)

  • 北岡組今昔物語

竜王編集担当者より、昔話を書けとの要請により、昭和三十年代頃の木屋平村に於ける工事施工の状態を思い出して書く事とした。

(株)北岡組の昭和三十年代の木屋平村(当時は麻植郡木屋平村)に於ける県工事の受注は多く施工も華やかな現場状況であった。土木、治山、林道、耕地等県各課の工事を受注し、特に土木部が多かった。工事は毎年継続して受注、そして施工、県道開設、林道開設、橋梁、治山、地すべり等々殆ど毎年継続して受注した。当時は美馬町内で県工事受注よりも木屋平地区に於ける受注が大半をしめ、多忙を極めた時代であった。

私は木屋平村川井の土木事務所出張所の近くに(株)北岡組木屋平事務所を創設し全現場との連絡及び土木、農林事務所との協議又は連絡、北岡組本社との事務その他連絡等々、毎日忙しい日々であった。従業員は大半美馬町で一部の人が脇町出身者であった。各大きな現場は、飯場なる寝泊まり出来る宿舎を、型枠、バタ角材等の廃材で作り、炊事婦をおき食事の準備(三食)をして作業員のまかないをしたものである。食事は米麦半々で、副食は野菜が主で、魚肉等はいよいよ希少で、今思えば、よく毎日の人力重労働に耐えられたものだと思う。地元からも作業員は出て来ていたが各現場平均して地元三割、飯場泊込み七割の構成で飯場生活の状況は奥地でもあり、組合に依る自家発電装置で、昼間は雑音が入るがラジオも聞けた。が、夜間は雑誌、新聞も読めない程の明かりでローソクは常備したものである。夜間及び雨天作業の出来ない時は花札なる煙草を賭けた賭バクが盛んに行われたものだ。又、清酒は高値の為、焼酎を飲み、又、給料は一等級日額三百円、二等級は二百八十円、三等級は二百五十円で婦人は百五十円で美馬町内の作業員給料より五十円ないし八十円高であった為、土工を職業とした者は好んで飯場生活を行い木屋平に詰めたものである。

給料は毎月二回払いで十五日勘定であり、食事数により、食事代は半分会社負担、給料より差し引いて支払った。交通費月二回家庭に戻る事を許可し、穴吹駅より川井迄のバス代は会社負担であったが、殆ど砂利・砂・セメントその他資材道具等持参する会社のトラック、其の他を利用したものである。若い、然も家庭の事を考えない独身者は遊びの方が主で会社より借金が毎月絶えず、前借りをしていたものだった。又風呂はドラム缶であり夏場はまあままあ風流であったが、困るのは冬期で、半月以上風呂に入らない者が多く、冬期の風呂、洗濯に苦しんだものだった。勿論、私自身も木屋平生活で、食事は飯場で食べ、風呂は土木事務所で入り、寝泊まりは事務所だったが、殆ど作業員と同様の生活である。この様な状態の飯場が五ヶ所、多い時は七ヶ所も存在したものだった。

川井事務所には現在北島生コン工場に勤務している佐藤正氏が私と一緒に事務所勤務であった。事務所要因二名で現場が多く、事務、各所連絡その他、土木、耕地等発注事務所との交渉、地元村役場、用地関係者との接触等々、電話等直接行動も含め多忙な日々であった。

今回は、川井事務所、飯場生活、作業員等構成について書いた。次回は現場、その他全般的状況を書く事とする。

(藤田 芳美さん 元㈱北岡組 専務)

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