◆米軍機不時着◆
              歴史に残る滑走路工事

 昭和35年11月17日午後4時40分頃、北岡組南側の吉野川河川敷へ米軍機の輸送機が悪天候と無線機の故障のため胴体着陸をしました。乗員7名は全員無事でした。その後、機体は分解せず、機材を取り寄せ修理、緊急滑走路を造り、何とか飛ばそうとの事になりました。

米海軍・町民・北岡組の一体になった取り組み>

 この決定を知った美馬町の人々から「困っているんだから、なんとかせなあかん!」と声が広がるとともに、善意あるたくさんの人達がたくさん協力を申し出ました。
 当然、すぐ横にあった北岡組も前会長指揮のもと滑走路工事を引き受け、会社を挙げて取り組みました。米海軍から、2名の工事指揮者も当地に来られました。こうして、言葉も十分理解できない状態の中で、身振り手振りを交えながら全員が一体となりスタートしたのです。


工事内容


滑走路は、延長490m、幅40mのものであり、作業手順は以下のようなものでした。

@人力にて大きな石の撤去
Aブルトーザーによる下地処理
Bグレーダによる砕石敷均
Cローラーによる転圧
Dむしろ敷き(離陸による土石飛散防止)
E鉄板敷き(米軍横田基地より搬入)

当時苦労したのは、機材がなく準備するために走り廻った事と、一日でも早く完成させることだったそうです

                 
                        ▲滑走路


離陸と日米親善交流


米海軍、町の人々、北岡組そして多くの人達の汗水を流し、心を込めて仕上げた滑走路は23日目についに完成。不時着から約一ヶ月後の昭和35年12月14日に輸送機は離陸することになりました。
当日は役場も学校も臨休です。吉野川の両岸は手に旗をもった大勢の見物人で埋まりました。パイロットが操縦席に乗り込んで間もなく、巨大な輸送機は轟音を響かせて滑走路を走行し無事離陸しました。誰彼となく「バンザイ」の歓声がわき上がり、吉野川にこだましたそうです。

飛び立つ前に美馬町に贈呈された石碑には、
「この工事に示された寛容と厚誼に感謝のため合衆国海兵隊より美馬町に献ず。」
と刻まれていました。

その後数年間、不時着の日には岩国基地より代表の方がヘリコプターで訪れ、にぎやかに親善の集いが行われました。また、町の人たちを岩国海兵隊基地に招待して下さったり、奨学資金等の支援をして下さったりしました。

     
  ▲感謝状を受け取る故前北岡会長  ▲岩国基地へ招待された美馬町の方々
        
    ▲親善の集い 阿波踊りで歓迎(左)、米兵に花束を贈る少女たち(右)


 この出来事から40年の月日が流れました。今では滑走路が造られた川原も堤防となり(昭和40年3月)、当時をしのぶ事は出来ません。しかし、現在でも堤防の下には記念碑と船玉神社があります。春になれば岩国より頂いた記念樹の桜が咲きます。